子宝を望む気持ちと子宝治療について言いたいこと
不妊症の患者さんはいつもいつも子宝に恵まれたいと思っていると思いますし、それが当然だと思うのです。
一方でそれと同時に子供を授かりたい、子宝に恵まれたい!!と常に思わないこともそれ以上に大事なのです。
この話は初めて聞くと、ちょっとわかりずらいかもしれないのですが、うちの薬局の患者さんであれば、このことは何回も形を変えて話をしていたりします。
またブログなどでも何回かいろいろな記事の中で形をかえながら書いていたりするのですが、子宝、子宝と強く強く念じすぎるとそれがなんというか赤ちゃんが逃げてしまうようなところがあるのです。
妊娠はしやすい時期というのがあって、それは季節とかではなく、その人の心の具合みたいなものが、良い状態になっている時なのです。
具体的には、妊娠はしたいのだけれど、極端に妊娠を意識していないというか、妊娠からむしろ意識が外れた時にできやすいのです。
とは言え、人の心は簡単にそんな風な心持になることは難しく、子宝に恵まれたい方は広島を問わず県外でも子宝の神社や子宝の温泉があると聞けばすぐに行くというような方も多いのですし、それが人情というものなのですが、実際にはほどほどが一番です。
こういう治療をしていると妊娠するしないには、何というか見えざる力のようなものを感じるのです。
よく赤ちゃんのことを授かりものといいますが、まさに子宝は授かるものなので自分の意志だけではどうにもならないところがあるのです。
もちろん全く妊娠に対する努力をしなければ妊娠はしないものなのですが、それ以外の要因もあるように感じます。
恋愛に例えるなら、あまりにも相手のことを求めすぎて前のめりになりすぎると、相手が引いてしまうことがあるような感じに近いかもしれません。
神様は極端な欲望を嫌うように思います。
子宝に恵まれたい!!そのためにできることなら何でもする!!
広島だろうが全国どこだろうが行けるところはすべて行く!!
その姿勢はある意味素晴らしいのですが、その先にもっと自然体にのんびり待てるゆとりみたいなものが同時に必要な気がします。
自分の今の状態を客観的に見れるような時間をごくごくたまにでも良いですが持つことが大事かもしれません。
私の漢方薬局に来ている患者さんの場合は、こういう方は身体の状態はそれほど悪くない方が多いです。
心が変わると身体が変わる方が多いように感じます。
そのために何をすればよいかを考え行動するほうが案外近道になるかもしれません。
急がば回れです。